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2021年05月14日

歳歳年年

なーいくちぇーなたがやー、(やさやーてぃちやあまとーん)わんねーたーち不足どぉー、などなど、とりとめのない会話が交わされる道路沿いの圃場は車中と畑の中で遠慮がない。こんな会話も、ぬーそうが、(わんがそーし解らんなー、草とぅ取とーせ、見ーゆえさに?)と、etoserora) 

 ハルサーも身体には難儀であるけれども、それを補って増幅させる「力」が「土」にはある。と、信じて疑う余地もない、それは、播種、栽培管理、収穫、消費者をイメージしながら土と戯れるとき、焦心もなければ焦りもない。昔の引き出しグァーを開けて自慢することもない。あるのは、新芽が進路求めて伸びるウリ類の観察、どこから来るのかわからない赤マヤーグァーの襲来、当初は美しすぎる配色に好奇な虫と観察していたがハルサーにとってトンデモナイクセモノと知るが、そんな話は次回に取っておこう。

主な作物はショウガ栽培であるが、島ニンニク少々、もーうぃ、ゴーヤー、なーべーらーがそれぞれ2株づつの計6株、これだけでもけっこう忙しい
仕事に一区切りをつけた自分へのご褒美に庭先で飲む茶碗酒を処遇、無色透明にして芳醇な香り、究極のイッピンわが島の酒、「泡盛」に心伏すままに芳醇なクースに恋して「漢詩」の一遍を思い出す。

年年歳歳  花相似たり
歳歳年年  人同じからず
      劉廷芝「代悲白頭翁」ヨリ

 毎年毎年同じように咲く花々、新芽が吹き出る木々、にんぐぁちひがんの次はウシーミー、デイゴも咲いた、百合も咲いた、幸せもたらす海辺はアーサやツノ又、スヌイとキラザー、わが島の礁池は命の揺りかご、海も陸も必ず訪れるうりずんの季節、年年歳歳花相似たり、しかし、人は去年と今年同じではない、アト、何年ピンピンしているか、菜園、ゲートボール、ゴルフにふりゆんたく、世界に誇る泡盛とミミガーさしみーをつまみながら気が合う者同士で談笑しているか、してないか、たぁーがん解らん、歳歳年年人同じからず。
 戦ユーヌの反省は 小石だけが鎮座するお墓室、厳しくも冷厳な事実である🐢

どうせ早歩きはできないのだからゆっくり行こうや😞


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Posted by ほら吹き南城 at 20:38│Comments(0)人生
 
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