6月23日「慰霊の日」に
戦世から70年、数字的に見れば永いようだけれど過ぎ去りし日を追えば、ついこの間のような気がする。不思議だ。心の中にある心象風景はカラーでもなければモノクロでもない。どんな色なのか曖昧なのである。
確かなことは、母の背にあった私が生きて母が死んだこと、楯となって死んだこと、アメリカ兵が帯を切って救い出してくれたこと、大型トラックに乗せられたこと、5歳の記憶にある残像だけが鮮明で色が付いてない。
6月23日は「ウチナーウコー」を一束持って自宅を出る、ご先祖の墓に立ち寄り「慰霊の日」の報告と子々孫々の幸せを願う。決まりきった行動ではあるけれどよしとしている。
遺族連合会会長の追悼の言葉はざわめきを沈め参列者の思いと共有した。
いつも、ヒッカカリ「気持ち的に」があった慰霊祭、今年は違った。県議会議長の式辞、知事の平和宣言は沖縄の思いが、日本に対する憤怒がマグマのように噴出した宣言であった。
今年の慰霊祭で最も聞きたかった詩 「
みるく世がやゆら」 与勝高校3年生の知念捷さん朗読が始まると会場は静まり返り聞き入った。年甲斐もなく涙腺が緩みティーサージで汗を拭くしぐさをしたけれど、思いは一緒だったのかも、私は、この、詩を子や孫に伝えて生きたい。ありがとう知念捷さん。